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ブログ下村監督と25年振りに再会した“倉田アクションクラブ同期” の太田Pが、当時の下村を語る。「人生初の挫折は勇二君がきっかけです…」 『坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29の質問』
Q20: インタビュー冒頭で話題にもなったSNSのお陰で、太田Pは25年振りに下村監督と再会を果たしたと聞きました。二人の経緯をお聞かせ下さい。
太田「僕は15歳から18歳まで、彼(下村勇二)と共に大阪の倉田アクションクラブで過ごし……恥ずかしながら、人生で初めて挫折を経験したのがこの人のせいなんです(笑)。自分の中で、どうしても整理がつかない程、勇ちゃんの飛び抜けた身体能力を目の前に“僕には無理だ”って当時は思ってしまったんですよ…。雲泥の差を感じてしまって……同じ事をやっていても駄目だなって」 (10代で何を言う。今思えばただの努力不足です。太田 )
「とにかくスピードが半端なくてね。当時僕ら世代は、みんなジャッキー・チェンに憧れていたから、よく公園で真似事をするんだけど、ジャッキー映画は早回しを編集技法の一つとして使っていたんだけど、10代の時はそんなの分からないから、勇ちゃんはあのスピードが基本だと思っていて、あのスピードで動けないとジャッキーにはなれないと本気で思っていた。だから勇ちゃんのアクションはとにかく速かった!速くて速くて!“早回しの勇” で有名だったんだから!!。俺だけに(笑) 。まあ~”早回しの勇” は、冗談だけど。彼が本気で動いたらもう誰も追いつけなかったかな(笑) 。みんなに合わせてスピードを落としていたから。僕も運動神経はいいと自負しているけど、もうそんな次元じゃなかったんだよね 勇ちゃんは! で、僕は高校を卒業して東京に。27歳からは会社を経営しています」
「で、勇ちゃんとSNSで繋がった事をきっかけに、『RE:BORN』公開時期の夏、約25年振りに再会して……その時、彼(下村)は多くを語らない人なんだけど、坂口拓の魅力と『狂武蔵』の映画の存在の事を、沢山話てくれたのよ。……普段の姿からは想像つかないと思うんですけど、泣きながら熱く語ってくれて。それに僕も心打たれて、男二人で涙を流しながら朝まで飲んだんだよね。“夢は逃げない 俺は辞めてしまったけど 何かで彼の役に立ちたい あの時のアクション少年が夢を形にし立派になったな~”と感慨深かった。そんな再会でした(笑)。お互い涙腺弱くなってるからもう恥ずかしくて熱い話はしないけどね~また泣いちゃうんで。話は変わるけど、実は僕が18歳〜23歳の5年間住んでいた場所が、現在 勇ちゃんが住んでいる家まで300mの目と鼻の先(笑) 。出会う事もすれ違う事もなかったけど、お互い世界は違えど この東京で踏ん張りながら生きてたんだろうなって。まぁ出会う運命だったんだろうけどね。だから最初は彼の頼みだったらなんでも聞こうと。よし!坂口 拓に会おうと! 僕が10代の時に憧れた“下村勇二”が惚れてる“坂口拓”って、一体どんな男なんだろうって?それで坂口拓に興味を持ち本人に会う事になって…」
Q21: 実際坂口拓に会ってみてどうでした?
太田 「最悪だわ(笑)!!口悪いし!!」
一同「(爆笑)」
Q22: 太田Pにとっての“プロデューサー業”とは?
太田「まず辞書でひいたよね(笑)。何をするのがプロデューサー業なのかって。まぁ偉そうな事は言えないけど、沢山ある中で基本中の基本、僕がしていくべき事は“坂口拓の魅力を、より多くの人に届け・伝えていく作業かな”と。だからYouTubeであり、ブログであり “場を作って彼等の魅力を発信している訳ですので。どんな職業でもそうだけど、“最前線の現場で戦ってる人間が主役。だから作品しかり人物しかり良いと思ったものをチームで伝えていく” それが僕の出来る仕事の一つかなと思っています。何度も言うけど沢山ある中の一つね」
Q23: 太田Pの誕生は、坂口拓と下村勇二ありき?
太田「勿論!二人に魅力を感じてなければ、動かないよね…。別にお金を稼ぎたくて、商売がしたくて、この世界に来た訳じゃないので。彼等の想いに惚れたから、『狂武蔵』の版権を買い完成させて皆様に届けるという挑戦 をしているだけなんで!。届けなきゃね〜、命をかけて挑んだ『狂武蔵』坂口 拓が報われないでしょ! 人生でこんな奇麗ごとに聞こえる台詞を、偽り無く言えてしまえる程なんです」
実は、太田Pの名前ですっかり親しまれているが、太田氏は会社経営者(建設業.不動産経営) という全く別の顔を持っている。会社経営と、この映画プロデューサー業、いかに両立させているのか。このバランス感覚と体力、行動力には頭が下がるばかり。太田Pは既に、『狂武蔵』完成に向けたクラウドファンディングと撮影を完遂させている!(想像以上の大規模撮影になった為に、赤字分は太田P自身が補填しているのはここだけの話……)
現在の邦画界は映画プロデューサー不足と言われている。この20年強の間に、映画の製作体制そのものが変化を遂げた。テレビ局製作であらば、そこには映画専門のプロデューサー以外に局の社員プロデューサー、そしてスポンサー企業からと、映画畑のプロデューサーは影を薄くせざるを得ない状況にも理解が出来る。しかし映画が家族であるならば、プロデューサーは家長、大黒柱だ。絶対に必要な存在。そんなポジションに、他業種での経験を積んだ人間が挑戦するのも、私は現代らしくて素晴らしいと考えているが、監督として下村・坂口はどう感じたのだろうか?
下村「面白いと思うよ。先ずは“プロデューサーって何なんだ”って話なんだけど、太田の場合は、ちゃんと自分達が面白いと思ったものをお客さんに届けよう!っていう気持ちが強いから、お金を集めて来てくれて、自分達がやりたい事を実現してくれるっていうね……いや、勿論太田にも出して貰ってるんだけど(苦笑)!!」
坂口「勇ちゃんと俺って、考えとかちょっとだけ違う所もあるんだけど、太田ってそういう意味ではもっと違うじゃん。で、そういう人が俺達仲間の中では居なきゃいけない。つまり~あの~漫画『ワンピース』のルフィー海賊団とするならね、勇ちゃん監督だからルフィーでしょ?俺、なんだ?二刀流だからゾロか??そしたら~太田はウソップ??」
太田「なんでやねん(笑)!!!」
一同「(大爆笑)!!」
坂口「太田は船を作るアイツなんだよ~えっと~(名前出ず)!」
まこと「あ~!青い髪の!!」
坂口「そいつは船を作るし、青い髪なんだよ!」
太田「合ってんじゃん(笑)!」
坂口「合ってんだよ!!」
まこと「フランキー!フランキー!!」
坂口「そう!太田はまさにフランキーなんだよ!!」
太田「覚えておくわ!」
坂口「俺達が乗る船を作って、走らせてくれる人なんだよ!!」
屋敷「良い話~(マジ感動)」
下村「いいじゃない~!」
坂口「そういう事なんだよ」
屋敷「よく映画作りって船に例えられるんです」
坂口「そうそうそうそう」
太田「俺もよく他人にプロデューサーの仕事を話す時“ 乗りかかった船なんで、漕ぎ続けます”って表現使ってたわ……」
一同「フランキーじゃん!!!!」
大海の本当の広さも怖さも美しさも、まだ見えず。しかし航海は確実に始まった様です。
少しずつ船を大きくしながら、仲間を増やしながら。
太田Pは私達のフランキーなのです。
坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29の質問』
次回7月27日(土曜)PM7:30!!
“下村監督と25年振りに再会した“倉田アクションクラブ同期” の太田Pが、当時の下村を語る。「人生初の挫折は勇二君がきっかけです…」 『坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29の質問』” への10件のフィードバック
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太田Pー!お疲れ様です。
でもよくプロデューサー業をやると、決めましたね!『辞書を片手にと…。』
タフと言うか、仕事量は追い詰められる感が
お好きなんですか?
いつか美しい大海が見れる日を
心待ちに願っております♪
初めまして。
映画界の外からプロデューサーを迎えられたことで、どんな新鮮な風が吹くのか、フランキーの活躍を楽しみにしています✨
若き日の太田さんが「挫折した」という気持ちが良くわかる。
下村さんがアマ時代に作った映像を観たけど、
ありゃバケモノですぞ!
太田Pが現れた事により狂武蔵が蘇る事ができ、新しい風を吹き込んで色々な事に挑戦してくれるおかげで、私達はワクワクしながら完成を待つことができています。
ほんと感謝の気持ちでいっぱいです✨
初めまして。
クラウドファンディング、どこかでもう一度やって頂きたいです…!
たくちゃんねるから坂口拓さんのファンになって、私も何かしらで参加したかったなぁと悔しく思い。。太田Pの赤字分補填の足しになれば嬉しいです。(記念品?とか、イベント参加等あれば、更に嬉しいです!)
それに、太田P、太田Pのおかげで拓さんの魅力に気付けたのでありがとうございます。拓さんをキングダムで始めて知ったのですが、その時は凄いと思ったけれどファンにまではならず。その後に偶然ツイッターでたくちゃんねるを見てファンになりました。毎回更新楽しみにしています!
てなるとチョッパーはまことさんかな(笑)
ヤッシーさんはロビンかな
ゆうばりで語る 太田Pの動画を見た時に
「なんなん???この兄さん!?!?!」
「誰??? で、誰なん??」
と、思っていたころが懐かし~ 笑
次のクラファン、あるとしたら
RE:BORNの続編のときでしょうか?
狂武蔵で、参加できてない方たちが
ここぞとばかりに殺到しそうですね~
太田P♪
いっぱぃ語ってくれてありがとぅござぃます!
巡り合わせって不思議で本当に面白ぃですね☆
『狂武蔵』を知っていく度に
その不思議だけど必然な巡り合わせにドキドキしてぃます。
太田Pのその真っ直ぐでピュアで熱ぃ漢気に本当に感謝しています☆
太田Pが作った船にたくさんの
『なかま』を乗せて
色んな景色を見せて下さぃね☆
きっと凪でホッとひと息してても
ファンの追い風で進まざるを得なぃので(笑)
熱くなる冒険をこれからも宜しくお願いします☆
拓さんや下村監督とは別な世界の社会経験を積まれて、プロデューサーとして再びお戻りになられた…。『挫折』という言葉がありましたが、そうではなくて、なんか、別な意味のある事のように見えました。。
下村監督と太田Pが再開しなければ、狂武蔵はどうなってたのかと思うと悲しくなりすが、偶然?必然的?に再開して今があると思うととても熱い時期に私は坂口拓さん、下村監督、太田P、屋敷さんに出会えたんだと思うととても嬉しいです!
クラウドファンディングの動画も見ました。私も参加したかったです。
次の作品の時はクラウドファンディングでもお手伝いさせてください!