【狂武蔵 復活までの9年の歴史❶】 園子温監督 『剣狂 KENKICHI』「10分ワンカットルールなし」撮影間近に企画が白紙!チームは解散?「77分”俺やってみるから!衣装部も含め残って下さい」頭を下げた坂口拓『狂武蔵』の誕生秘話とは!?

今回は『狂武蔵』についてのインタビューということで、せっかくの機会ですから硬くならずにゼロから語っていただきたいと思います。よろしくお願いします。

TAK∴:

硬くなるわけないじゃないですか。緊張は戦闘能力を落としますから。

──

そうでしたね(注:映画『RE:BORN』参照)。早速ですが、作品を作ろうと思ったきっかけについて教えてください。

TAK∴:

最初は『剣狂 KENKICHI』っていう園子温監督が書いてくれた脚本があって、本当はそれを園監督で映画にするはずだったんですよ。でも、いろいろあって俺が監督することになり、同時に様々な問題も起こっていました。

準備期間中に2回くらいインがストップしたこともありました。毎日問題が山積みで。詳細は言えませんが、結果、プロデューサーから「企画が潰れた。撮影できない。」と宣言されました。

その時のウリが俺の中で「10分ワンカット、ルールなしでやろう」っていうのがあったんですね。アクションマンって実は人を狙うことが得意じゃない。リアルには狙わないようにするっていうルールが、アクションマンの体に染みついちゃってるんですよ。まぁ俺はそんな染みついてなかったですけど。当てるようにするけど絶対に当てにはいかない。その癖をなくすっていうのに1年以上かけてやってたんです。要は“安心”ですよね、どんなことをしても当たらないんだっていう。例えば人を斬っている最中だって刀は迫ってくるわけですから、斬った瞬間に敵の攻撃がきても一瞬で避けるとか、そういうのを10分間集中してやるっていう練習だけはずっとしていたんですよ。

それで、プロデューサーがスタッフみんなに宣言した時に「監督、何か言いたいことありますか」って言われて、カメラマンの長野(泰隆)さんに機材いつまで押さえてるんですかって聞いたら“この日までです”、照明部も“この日までは押さえてます”と。撮影期間は大体1カ月ぐらいだったから、例えば月で考えて映画が潰れたのが月の初めだとしたらギリギリ二十何日までは押さえていると。「じゃあその1日前の日に“ワンカット77分”で俺やってみるから」って、衣装部とかも含めてみんなに「1回挑戦してみたいから、やってくれるんだったら残ってください」って伝えたんです。なぜかね、そんな気がふれたことを言ったんですよ。

だけど、ほんとは結構、精神的にボロボロだったんですよ、実は。何も考えられないぐらい。けどそんなこと口走っちゃったら、なんかこのまま映画がただ潰れましたっていうのはどうしても嫌で。なんかちょっとでも良いからカッコつけたかったんでしょうね、男として。そうしたらスタッフ全員残ってくれて、「やりましょう!」と言ってくれた。それじゃあってことで、なんにしたってストーリーはなきゃいけないから宮本武蔵が吉岡一門と戦うところを抜粋して、実際には二十何人斬りだったと思うけど、それぐらいやっちゃおうよ、みたいなね。だから脚本を書くっていっても本当はもう頭が働かないぐらいボロボロだったんだけど、助監督が「じゃあベースは自分が聞いてるんで書くの少し手伝いますよ」って言ってくれて。それでみんながそうやって繋げていってくれて、やれるかどうか分からないけどやってみっかってことで、その日一日。失敗したらそれで終わりと。

本当に最後の選択として、一日で撮ろうと。当初は“10分ノーカット”というアイデアだったのが、「一日で撮り終えるためにワンカットで全部撮ってしまおう」というところから“77分ノーカット”の作品が生まれたんですね。ちなみに当初の『剣狂KENKICHI』はどれぐらいの長さの作品になる予定だったのですか?

TAK∴:

普通に映画分としての長さはあったと思いますよ。脚本がどこにあるかは分からないんだけど、いま読んでも、いま映画としてやってもめちゃめちゃ面白いと思いますよ。

なぜ、宮本武蔵だったのか?

──

そもそも宮本武蔵が題材に選ばれたのは、どういった理由があったのでしょうか。

TAK∴:

誰もが知っているっていうのと、普通の人にとっては“宮本武蔵は凄く強い”ってイメージがあると思うんですけど、意外に剣術家の中では“宮本武蔵が一番強い”なんてことは誰も言わないんですよ。つまり宮本武蔵って、常に成長していたわけじゃないしそこまで強くなかったんじゃないかっていうね。だって本当に強かったら巌流島とかでも精神戦で戦わないですよ、佐々木小次郎を怒らせて。実際には小次郎の方が強かったと思いますよ、先に待っていて「さぁ、やろう」っていうぐらいなんで。吉岡一門との戦いだって、隠れながらいきなり本陣に来たって話もあるわけだから。

意外と心理戦で戦ったり、そりゃあ全く弱かったわけじゃないだろうけど、そこになんか人間性っていうのを感じたんですよね、ただ強いだけじゃなくて。一刀斎なんかはめちゃくちゃ強かったって聞きくし、絶対に負けなかったって。だけどこういう人間っぽい、どうせやるんだったらただの強い人間じゃなくて、人間味に溢れている方が題材として良いんじゃないかなって思ったんですよ。

本当に狂っていた?!

『剣狂KENKICHI』が撮れなくなって、どこから『狂武蔵』というタイトルの発想があったのでしょう。

TAK∴:

それはもう狂ってるからじゃないですかね、自分が。

──

自分? というと、それはキャラクターとしてでなく、宮本武蔵を演じているTAK∴さん本人がということですか?

TAK∴:

そうですよ。だって映画が一度潰れた時はもう刀を握るつもりになれなかったんで、そこからやるって決めて、撮影をする前日と、本番1回ぐらいしか刀を握れませんでしたからね。最初は何も手につかずで。そこから77分ワンカットでやろうなんて、だからもう狂ってたってことですよ。

──

「なんか狂ったことやろうとしてるな」と感じる瞬間があったのですね。そのタイミングはやはり「ワンカット77分を1日で撮影してしまおう」と決めた時ですか? それともほかに?

TAK∴:

77分は結果であって、当初何分戦うかなんてわからなかった。でも延々とワンカットで戦っていたらとんでもなく狂った宮本武蔵の感じになるんだろうなとは感じたんですよ。「たぶん狂ってるだろうな」みたいな。でも、だから良いんじゃないかって。普通の「武蔵」じゃなくて今回は「狂った武蔵」っていう。そういう、劇中で絶対狂うだろうなって意味もあって『狂武蔵』にしたんだと思うんですよ。まぁ実際には撮影が終わった後に狂ったんですけどね、やっぱり。

スタッフが残ることになり撮影が決まって、当日まではどういった流れだったのでしょう。

TAK∴:

撮影前日にロケ地の「ワープステーション」でルートだけ作ったんですよ。基本はガチで狙ってくるのってウチのチーム(ゼロス)の人間しかいなくて、あとはもしも空間や間が生まれてしまった場合に、通常のアクションマンが胴斬りだけされにくるって約束事は決めていました。それは柄澤(功)が考えたんだけど。柄澤が今回のアクション監督で、俺が監督で。それで挑んだって感じでしたね。

──

リハーサルはされたんですか? 直本番という形で?

TAK∴:

直本番ですよ。ルートを確認したのが前日。次の日が本番で、リハなく用意スタートですよね。ルートと人の出方と、あと監督なんでみんなの芝居だけは見たんですよ。

──

動線を決めたというのはカメラの動きを決めただけで、例えば引きだとか寄りだとか細かい演出は決めなかったのですか?

TAK∴:

それはある程度決めていました。決まりのカメラポイントだけはいくつかありました。けど戦ってる時に俺の顔に寄ったりっていうのはカメラマンの長野さんが、気持ち的に寄りたかった時に寄るっていうね。柄澤や長野さんには、俺が良い表情をしていたら寄ってくれっていうのは伝えてあって、その時は俺に誰も絡みに来させないでくれっていうのも伝えてはありましたね。

実際に作品を観て、前半はTAK∴さんを背後から捉えていたカメラワークが中盤ぐらいから変わっていった印象がありました。まるで、なんだか長野さんも気持ちが昂ってきたのか武蔵と一緒に動いているような。

TAK∴:

そうですよ。だって『狂武蔵』で77分間俺と一緒に唯一ずっと戦っている人間がいるとしたら、それはカメラを回していた長野さんだから。俺は撮影が終わって狂ったけど、やり終えた後の長野さんも結構大変だったと思いますよ。

──

重い機材を抱えて77分ですもんね。TAK∴さんの場合は劇中さりげなく水分補給をされていましたが、長野さんは……。

TAK∴:

さすがに水分補給はしていたと思いますけどね。けど、どうなんだろう?だから今度は『狂武蔵』を撮った長野さんにもインタビューしてほしいよね。どんな気持ちでやってたんだろうって。俺には俺の戦いがあって、長野さんには長野さんの戦いがあったと思うから。

──

TAK∴さんは宮本武蔵になりきってますもんね。カメラの動きまでは把握しきれなかったのでは?

TAK∴:

いや、動きは見えてるんですよ。それは俺のアクション監督の癖で。でも長野さんがどんな気持ちだったかまでは分からないから。あれから長野さんと俺は戦友っていうか心と心は繋がってるんだけど、なぜか会うと小っ恥ずかしいような気がしてずっと会ってないんですよ。なんか裸を全部見られたような気がしてるっていうか。

──

長野さんにとっても、カメラマンとして『狂武蔵』のために残って77分戦い抜くと決めた時点で相当の覚悟があったんですよね。

TAK∴:

今準備してる作品は俺が監督で映画撮る予定なんだけど、長野さんには頼めない。頼むんだったらもう一度命を懸ける時じゃないと頼めないなっていう。中途半端な画を撮らせるわけにはいかないって俺の中で思っちゃう。俺が呼ぶってことは、長野さんまた一緒に死ぬんだろうなって。だから勇ちゃん(下村勇二)と次の侍映画をやる時に、実は長野さんにお願いしたいなって思っちゃうもんね。「久々に命懸けるからさ、やってくれよ」みたいな。まぁ『RE:BORN』シリーズだったらね、工藤(哲也)さんが良いんだけどね。だって俺工藤さんも大好きだし、唯一俺の体の波長が分る人だから。

──

長野さんとは映画製作者としてではなく、戦友としてまた一緒に戦いたいという感覚なんですね。

TAK∴:

そう。普通のカメラマンという見方ではないですね、俺の中では。だから次に会う時は戦場なんですよ。ドキッとするんじゃないですか? 俺からやろうよって言われたら。「ついにこの時が来たか!」「もうイヤだ!」ってね(笑)。やっぱり周りから聞くと長野さんもヤバかったらしいですよ。仕事ができないくらい、精神的にもボロボロになってたって。

TAK∴さん自身は本番直前に何を考えていたか覚えていますか? さぁ挑もうという気持ちだったのか、無心で待っていたのか。

TAK∴:

多分考えてたら緊張していたと思うんですよ、それこそ「本当にやれんのか」とか。でも落ち着きはなかったと思いますよ、誰とも居たくなかったから。だから火をくべたガンガンも一番端っこに置いてもらって、ずっと本番まで一人でぼーっとしてた気がするんですよね、誰とも喋らなかったし。そうじゃないと、周りと居るとどんどんやることを復習しちゃうのもイヤだっていうのもあって。あと自分がどれほどのことが出来るのかも分からないし、だからそんなことを考えると不安になるだろうしさ。あとは「絶対に1回しか出来ないからな」って思ってたんで。

──

ちなみに撮影は何時ごろ始まったのですか?

TAK∴:

夕景狙おうって言ってたから15時ぐらいスタートですね、たぶん。ほんとねぇ、俺の中で『狂武蔵』の頃の記憶がすっぽりないんだよね。

季節は秋だったのかなぁ。いま思えばメイキングも回しておけばギネス獲れてたんだろうけどねぇ。

(ライター:葦見川和哉)

*この記事は2年前のものです。

大好きな記事な為、『狂武蔵』の公開に向け再投稿していきます!!

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“【狂武蔵 復活までの9年の歴史❶】 園子温監督 『剣狂 KENKICHI』「10分ワンカットルールなし」撮影間近に企画が白紙!チームは解散?「77分”俺やってみるから!衣装部も含め残って下さい」頭を下げた坂口拓『狂武蔵』の誕生秘話とは!?” への1件のコメント

  1. にゃん丸 より:

    拓さんを知って、
    辿り着いた『狂武蔵』

    キングダムの左慈がきっかけだけど
    実は『狂武蔵』の方が何倍も心惹かれて
    このインタビューは何度も何度も読んで
    何度も何度も熱くなって、
    何度も涙した。

    言葉にならなぃ感情が溢れて来て
    拓さんだけじゃなく『狂武蔵』に
    恋してしまった感じ。

    やっと恋焦がれた『狂武蔵』に
    やっと会える。

    ありがとぅござぃます。

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