映画『RE:BORN』公開2周年!影で支えた功労者に、今一度想いを馳せて。

「拓ちゃん復活するからヤッシーも出てね」

そんなメールを下村勇二監督から頂いたのは、『RE:BORN』クランクイン随分前の事。読んだ時は心が大きくざわついた。

坂口拓、下村勇二という私にとっての映画神二人の事を生意気にもこうして文章にさせて貰っているが、出逢って15年近く……昔も今も、二人にはそう簡単に近付けないでいる(苦笑)。『RE:BORN』始動時なんて特にそうだった(過去ブログで是非確認して欲しい)。拓さんが稲川先生のもと猛特訓を重ねている事、作品が動く事は薄っすら聞こえて来ても、そのはっきりした輪郭は見えてこないし、教えてだなんて言えない雰囲気だった。

そうこうする内に、2014年夏、この映画を通し若手アクション俳優を発掘する為の「RE:BORNオーディション」が始まり、通称「リボーン研修生」達8名が真っ先にクランク・インに向け半年に及ぶトレーニングに入り、その数ヶ月後から私や三元雅芸含むキャスト達もそれに追随して参加する形となった。

そこで初めてお逢いした稲川義貴先生の放つ、過去に感じた事の無いオーラに圧倒され、別人の様な表情に変わった拓さんに驚き……そこでやっと「ヤバい、私とんでもない作品の誕生に立ち会おうとしてる」そう感じたものでした。何かが生まれる時特有の、そこには全員で暗闇の先の一点に立ち向かう様な……そんな言葉にし難い力を既に感じたから。拓さんも稲川先生も、そして下村監督も死闘を覚悟している眼。そんな身の毛のよだつ始まりだった。

丁度「リボーン研修生」卒業者、コサクマナミちゃんに連絡する機会が有ったので彼女にも当時を振り返って貰った。ちなみに彼女は来る11月9・10日に開催される、「映画『RE:BORN』公開二周年記念スペシャルイベント」のオーガナイザーの一人でもあり、自称「RE:BORN宣伝部長です(笑)」との事。心強い!!

コサク「私はオーディションを受けた当初、実は坂口拓さんって存在を知らなくて。

下村勇二さんが監督をする!一緒に仕事がしたい!って思いだけで、応募したんです。

坂口拓さんがどんな人でこの作品にどんな思いで望んでいるのかとか全く分からなくて。そんな中、10月から始まったレッスンには、下村監督やマコトさんが忙しい合間を縫って来て下さってて、基礎の基の字も知らないど素人たちに0から教えてくださって。

ただ、作品の話をするタイミングが無かったので、やっぱりどこかふわっとしてて。

屋敷さんもいた2015年2月かな?レッスン後のごはん会で拓さんと初めてお話し出来たんです。過去のこととか、色々聞いているうちにやっと、今、私、とんでもないところにいる…。って感じたんです(苦笑)。

映画撮影に自分がしっかり参加することも初めてだったし、裏方もなにをしたらいいか分からなかった。周りに聞けるほど余裕のある現場でもなくて…(苦笑)金沢ロケで自分の出番が終わったあとのスタッフワークもままならず、すごく悔しかったので、自費で熱海まで行って、現場を見学しに行ったりもしてましたね。

他にもたくさんありますけど…割愛します(笑)。RE:BORNという作品に出会って、私の人生は変わりました。映画をほとんど観なかった人間が、毎週映画館で観るようになった。運動が苦手な人間がアクションを始めた。かけがえのない人たちと出会えた。とても有り難く、幸せな経験です。」

太田Pから、『RE:BORN』の当時の事書いてと言われたけど……正直、物凄く筆が進まない、このブログ(苦笑)。過去イチ無理やりで下手くそな文章ですよね。だって、私の言葉なんかで書ける事などこれ以上無いんですよ『RE:BORN』に関しては。この作品の存在と、公開して2年経っても尚、観る人の心を掴んで揺さぶって来る。それが全ての言葉の代わりじゃないですか?彼等が魂も血肉も捧げて作った映画を目の前に、私の安っぽい言葉は要らないと思います。

ただ、『RE:BORN』が時間と共に一人でも多くの人に届いてくれれば……と。

最後にこの方の事だけは書かせて頂きたい。田中清一さんの事を。

田中さんは、下村さんに(谷垣健治さんや太田Pも)とって大阪・倉田アクションクラブ時代からの大先輩。後に全員東京を拠点にしてもその関係は変わらず、田中さんにとっても心から自慢の後輩達だったそう。相思相愛感がいつも溢れてる。田中さんは「PASS GUARD」というアクションチームの代表を務めていて週二回のアクション練習会の門戸を大きく開き、スタントマン、プロの俳優、アクションを志す俳優、はたまたプロ格闘家迄が集う練習会になっていた。

私自身、アクションの基礎がメチャクチャなままに仕事をし始めていて、そんな時下村監督に紹介して頂き通っていたのが「PASS GUARD」だった。練習内容もさることながら、通う全員が惹かれるのは結局田中さんの底なしの優しさ、思いやり、そして尽きぬアクション愛だったと思う。みんなみんな、田中さんが大好き!!

そして下村監督が、「RE:BORN研修生」を託したのが田中さんだった。イン迄の半年間、田中さんは研修生に厳しく、それ以上に愛情を注いで彼等を育て、映画のフィールドに送り込んで下さった。そしていつも会う度に「下村に頼まれたら」「下村の力になれるなら」と、口癖の様に照れくさそうに笑顔で言ってた田中さん。

そうして『RE:BORN』がついに完成し、配給が付くかもしれない……そんな良い流れのままやっとやっと試写が決まった2016年の夏の終わり。

田中さんが倒れたという連絡が入り……そのまま、夏休みの続きの様に天国に旅立ってしまった。心待ちにしていた『RE:BORN』を観ぬままに。

田中さんのお通夜の日が『RE:BORN』試写日だった。悲しみを堪えて変わらぬ様子で試写にで現れた下村監督は、スクリーンが一番良く見える席にそっとビールを供え、隣の席に刹那腰掛けていた。

【坂口拓の格言集】

次回 10月1日 火曜日 pm7:30

*追記

“倉田アクションクラブ”の先輩でもあるが、“極真空手 大阪南支部”の先輩でもあった。「田中先輩、同期の勇ちゃんを支えてくれて有難うございました 押忍 」。

9月は『RE:BORN』と下村勇二監督の誕生月でもあるが、監督を影で力強く支えた田中清一先輩を想う月でもある。。

追記 太田誉志(太田P)

“映画『RE:BORN』公開2周年!影で支えた功労者に、今一度想いを馳せて。” への1件のコメント

  1. にゃん丸 より:

    ありがとぅござぃます。
    またひとつ大切な思い出を。

    人の繋がり、それぞれの想ぃ
    色々な人の気持ちが詰まった作品。
    『RE:BORN』
    この作品に出会えた事に
    本当に感謝です。

    ありがとぅござぃます。

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