『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』でも強すぎた ドニー・イェンは『狂武蔵』監督 “下村勇二” の師であった!!下村監督 特別後記あり!【超貴重な写真と師弟エピソード】『坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29ぐらいの質問』

下村勇二監督が、香港の……いや、もはや世界のアクション俳優兼監督でもある“ドニー・イェンに師事”という事実を知らない人もまだ居るんじゃなかろうか?

読みながら頷いてくれた方、「勿論!」って言ってくれた方、有難うございます。

「ドニー・イェン?誰それ?」ってなった映画好き、アクション好きのアナタは今すぐ検索して!!日本はドニー・イェンを知らない人が多過ぎて寂しくなっちゃう(涙)!

『イップ・マン(葉問)』(11~)シリーズや、最近なら『ローグ・ワン スターウォーズ・ストーリー』(16)の盲目の戦士チアルート、『トリプルX 再起動』(17)のジャンなど、ハリウッド大作への出演で日本でも知られる様になって来ている筈。そんな超ド級のアクションクリエイター、ドニー・イェンに師事していた(いや、しているが正しいのか)なんて、下村さんが凄いって話よ!!

時折聞かせて下さるドニー現場の話がいつも最高に楽しいんだけど、今回は下村監督の心に残るドニーとのエピソードを、WiiBERブログの読者に向けて……と、特別に教えて下さった。

下村 「ドニーと初めて仕事させて貰ったのが、1999年の『PUMA』っていうドイツのドラマシリーズだったんだよね。そこにドニーが香港からアクション監督として招かれる事になった。そこにアクションコーディネーターとして参加した谷垣健治さん(『るろうに剣心』シリーズアクション監督)が俺含め日本から呼んでくれたんだよね。今回がドニー・イェンとの初仕事の上、言葉も全然分からないし、海外作品も初。当然緊張もあるよね。しかもドイツ作品なのに、ドニーが入る事で慣れ親しんで来た香港アクションのテイストもある。そんな右も左も分からない状態でのスタートだったんだよ」

下村 「それでもね、若い時ってね……自分がやってる事に自負がある。俺もね、自主映画も散々撮ってきて、アクションもずっとやってきて……俺も違わず、自分の中で自信があったんだろうね。“言葉が通じなくても、アクションは認められる筈だ”ってね。……ドニーには全く駄目だったね!全然通用しかった!!その作品で、俺が主役のスタンドダブル(アクションシーンでの吹き替え)をやらせてもらえたんですよ。あるシーンで、アクション自体は簡単なものだったんだけど、ドニーからOKが全然出ない。何度やってもNG。もうね、明らかにドニーの機嫌が悪いのよ(苦笑)。“こんな事も出来ないのか!”って感じで」

太田 「そのシーン?撮るのにどれ位時間掛かったの?」

下村 「たったワンカットだったんだけど、結局一時間以上掛かったんだよ。またそれもプレッシャーになるんだよね(苦笑)!“俺のミスのせいで、大切な撮影時間をこんなに使ってしまってる!”って。自分でも何を求められてて、何が正解なのかが完全に判らなくなってしまって……“これはもう駄目だ”って。それで谷垣さんに、“もうギブアップです……”って言ったら、ドニーも怒った様子で“分かった分かった、もういい”って。その時、もう二度とドニーの現場には呼んで貰えないなって、諦めすら入る様な状況だったんだよね。言葉も分からない、ならばせめて自分の持ってる武器である、アクションでだけは認めて貰いたかったのに、それすら認めさせる事が出来ないなら……自分が今ここ(現場)に居る意味が無いし、日本に帰るしかなくなってしまう。そりゃ落ち込むよね……。で、宿泊先のウィークリーマンションに帰っても変わらず独りで落ち込んでて、そしたらドアをノックする音が聞こえるんだよ。谷垣さんが撮影終わって帰って来たのかと思ってドアを開けたら……ドニーだった!」

下村 「おもむろに、“Yuji、コーヒー飲みに行くから表出ろ”って言われて、また怒られるんじゃないかと思うじゃない(苦笑)!?そしたらドニーは俺にも分かる簡単な英語で、“俺が若かった時はもっと大変だったぞ!何やっても怒られていたし、ボロボロだった!”って。ドニーの師匠であるユエン・ウーピンに毎日怒られていた話とかをしてくれる。ドニーなりに凄く励ましてくれるんだよね。それが凄く嬉しかった。それより前に、実は現場で他のスタントマンのミスを自分のせいにされた事があったんだけど、俺は言葉も出来ないし、悔しいけど何も言い返せなかったんだ。それもドニーにはちゃんと見てくれていて“お前はあの時正しかった。間違えていたのはアイツらの方だ”って。本当に全部見てくれていた。そんな事があって、“この人に付いて行きたい”って想いが湧いたんだよね!

そこからはドニーから沢山学びたいと、撮影が無い日にも編集室に行かせて貰ったり。ドニーが撮影されたカットを見てボロカス言うんだよ。でもその時点では何故ボロカス言うのか分からなかったんだけど……編集され繋がった映像をみて、初めてドニーが何を求めていたかが理解出来た。ドニーのビジョンは、俺が考えていた事より遥かにレベルが高い。ドニーはこんな次元を見て撮影していたんだ!って。その時間は、俺にとっても大きな成長の時間になったと実感出来たんだ。気付けば、ドニーから“全て”を学びたいっていう想いに変わってたね」

下村 「谷垣さん曰く、ドニーはそれまで弟子を持った事なんて無かったけど、谷垣さんや俺みたいにドニーの元で多くを学んだ人間が生まれた事で、ドニーにとっても俺たちは“弟子”へと自然となっていったみたい。よくドニーが言ってたのが“俺と一緒に仕事をするという事は、ここは少林寺だ。修行の場だ。だから一生懸命学べ”って。俳優にアクションを教える合間には、スタントの俺達の蹴りを見てくれたり、色んな事を教えてくれる。それが終わっても谷垣さんと泊まっていたマンションまでドニーが来てくれて、一緒にアクション映画をを見たり、翌日のアクションのアイデア出しを部屋の中でみんなで動いてやってみたり。谷垣さんもそうなんだけど、俺にとっても、ドニーの背中を見てアクション映画に取り組む中で、今の自分のスタイル、アクションのやり方、アクションに対する考え方が生まれたと思ってるんだよ。だから、自分が今こうしてアクションで生きているのは、ドニー・イェン、そして谷垣健治さんのお陰だと、今も昔も、心から感謝してるんだ」

抜きん出た才能があろうとも、たゆまぬ努力と学びの姿勢が無ければ、備わった才能すらいつか枯れ行くであろう事は、ある程度生きてきた大人なら理解出来るのではないだろうか。そしてそこには、人生を捧げる程のアクションへの圧倒的な愛が根底にいつもある。

20年前に、ドイツの空の下で志を共にした香港のアクション監督と、日本人スタントマン達。彼等の現在の世界をまたにかけた活躍を見れば、惹かれ合うべくして出逢っていたとしか思えないし、その関係の在り方は映画以上に劇的だと思う。ドニーの話をする下村監督は本当に楽しそうで、共に過ごしたその時間を心から慈しんでいる様子で。いつも、下村勇二というアクション少年の、大切な青春の一瞬を垣間見る気がするのでした。

特別後記・下村勇二が選ぶ「この映画のドニー・イェンを目撃しろ!!」

おススメのドニー作品は沢山ありますが、敢えて下記の作品を。当時見て影響を受けたアクションの一つ。

『タイガー刑事』(1988年)

ドニーvsマイケル・ウッズ戦

監督はユエン・ウーピン。ドニーはアクション指導も務めた。今見ると、とてもシンプルなコレオグラフィだが当時は新鮮に感じた。ジャッキー全盛期の香港映画は、アクロバティックでスピーディなアクションが流行り、危険で派手なスタントも多かった。そんな中、派手ではないが地に足のついたリアルファイトが新鮮だった。説得力あるドニーの動きは、マーシャルアーツの基礎が詰まっており、蹴りとパンチのシャープさに興奮。当時アクションの手本として何度も見返して真似した覚えがある。殴る前の腕を回す仕草もこの頃からね。盟友のウッズとは、その後幾度も対戦する事になる。二人の戦いは一見変わり映えないコレオグラフィに見えるが、作品を重ねる度に、様々な実験を繰り返し淘汰され、徐々にアクションスタイルが確立されていくのが垣間見える。

文・下村勇二(原文そのまま)

『坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29ぐらいの質問』

次回 8月27日 (火曜) PM7:30!!

“『ローグ・ワン/スター・ウォーズ・ストーリー』でも強すぎた ドニー・イェンは『狂武蔵』監督 “下村勇二” の師であった!!下村監督 特別後記あり!【超貴重な写真と師弟エピソード】『坂口拓・下村勇二監督・太田Pに答えて頂きます!屋敷紘子の29ぐらいの質問』” への5件のフィードバック

  1. サガエ より:

    素晴らしいインタビュー記事。

  2. しょうこ より:

    哀和平!ジャッキー・チェンを有名にした拳シリーズに出てた、すっごいお爺さん、哀小田の息子さんで監督ですよね。もう、懐かしくて嬉し過ぎる。ジャッキーよりも相手の悪役にはまった身としては、「キングダム」で拓さんと出会って、子供の頃以来の興奮を覚えました。これからも、皆さんにドキドキさせてほしいです。

  3. 永作綾乃 より:

    ツイ・ハーク監督の『Once Upon a Time in China』で、ドニー・イェンを知りました。
    当時最強だと思ってた、リー・リンチェイ(ジェット・リー)と互角の戦ってるのを見て、驚きました。
    まさか、今も動けるなんて凄いと思ってます。『イップ・マン』でも健在なのは、これまた凄いとしか言いようが無いです。

    下村監督が師事していたのを知ったのはは、釈由美子版『修羅雪姫』です。
    当時話題になってたのを覚えていて、DVD買いました。

    下村監督とドニー・イェンの出会いが無ければ、今の日本のアクション映画は発展して無いし、リアル感はどこへ、と言った映画が大多数を占めてるんだと。

    下村監督とドニー・イェンの出会いに感謝‼️

  4. にゃん丸 より:

    今回も楽しく読ませて頂きました♪
    下村監督とドニーさんの出会ぃから絆が深まるエピソード…熱く込み上げるものが(涙)
    ニコニコしながらドニーさんのお話をしてくれる下村監督の顔が浮かびます。
    貴重なお話…
    何だか本当に沁みました。
    ありがとぅござぃます

  5. 小林寺 より:

    以前、下村監督のプロフィールを拝見し、ドニー・イェンが弟子をとっていたこと、しかも日本人をということが意外過ぎて、ビックリしたのを覚えています。

    その経緯をこの場で知ることができるなんて、めちゃくちゃサプライズでした。

    いちいち素敵なエピソードで、下村監督はもちろん、ドニー氏の俳優として以上の人間的魅力と、血の通った師弟関係にしびれました。

    多くのアクションファンに、片っ端から自慢ならぬ他慢したい気分です。

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